16.感性がスタンレイを否定した

 東北において、先のスタンレイの品種同定における、さらなる一致があったにもかかわらず、私には、それがさらなる裏付けにはならなかったのでした。私は、柳田村から送られてきたスタンレイとされる品種を見たことによって、直感的に先のスタンレイに疑問を持ってしまって以来、あの品種がスタンレイであるとは、もはや思えなくなっていたのでした。

 もしかすると、私は、柳田村から送られてきた株を見る以前から、感覚的にあの株がスタンレイであるとは思っていなかったのかも知れないのです。むしろ、それをきっかけにして、一度確定したスタンレイを否定したかったのかも知れないとさえ感じたのでした。

 今、考えると、あの株をスタンレイであるとする根拠が、様々な検証によって導き出されながらも、感性がそれを拒否し続けていたかのような気さえするのです。その理由をあれこれと考えてみたのであるが、その結論は、「あの株自体に『魅力』というものを感じなかった」ためだと確信するに至りました。

 そもそも、かつての日本のブルーベリー研究者の誰もが注目しなかったスタンレイという品種に、私がこれほどまでに興味と関心を持ったのかというと、ハイブッシュ系ブルーベリー品種改良の歴史において、スタンレイが、その親品種として極めて重要な役割を果たした稀有な品種だったからなのです。そのようなポジションにあるスタンレイという品種は、どこかに魅力的な要素を持つ品種であるはずなのです。逆説的にいうならば、魅力がない品種であるならば、スタンレイが、そのような重要なポジションに位置するはずがないのです。これが、私独自の予測理論(的中確率の高い正しい直感)なのです。

 もちろん、「品種同定」という科学的なものに対して、「感情」を差しはさむことは論理性や確実性を乱すことになるのでしょうが、「感性が、例のスタンレイを否定していた」というのが、どうも正直なところなのです。もしも、私が研究者であるならば、明らかに研究者失格といえるでしょう。少ないながらも残存する記録や事実から、これだけの一致を見るならば、一度特定したスタンレイは、スタンレイとすべきが妥当だといえるでしょう。それが、客観的な品種の同定であり、評価というものだといえるかもしれません。しかし、私のこの奇妙な心理は、横田氏とさらなる議論をすることによって、とうとうその説明がついたのでした。