18.スタンレイはスタンレイでない

 状況を整理すると、1952年に日本にスタンレイとして導入された品種が、群馬のスタンレイであることは間違いありませんでした。また、群馬のスタンレイと東北のスタンレイ、さらには一般マーケットに存在する多くのスタンレイとされた品種が同一品種であることも間違いない事実でした。さらに、岩手大学でスタンレイとされていた品種とも同一であることも間違いない事実だったのでした。これだけの裏付けと一致がありながらも、私は、それが本物のスタンレイではないとあえて結論づけることにしたのでした。

 過去に農林省特産課をはじめとした公の機関によって導入されたビッグセブンの品種のいくつもが、事実上は異品種であったという事実。そして、同様に多くの論拠によって、ほぼ確定されたスタンレイの周辺事情を、さらに論理的に考えていくと、全く同じ疑いが出てくるのでした。しかし、そうなると、前述したように「本物のスタンレイ探しの旅」は、完全に暗礁に乗り上げたようなものとなったのでした。

 もはや、アメリカ農務省の研究機関かスタンレイの故郷ニュージャージーにでも出向かなければ、本物のスタンレイとは一体どんな品種だったのかは確認のしようもないのでした。あるいは、このような状況下では、仮にそうしたとしても、それすらも、にわかに信じがたいものといわざるを得ないのかも知れません。もはや、 1937年に没したスタンレイの開発者であるコビル博士のみが、その真実を知っているということになるのかも知れないでしょう。

 一方で、私は、これこそがブルーベリーの歴史なのかもしれないと再認識するとともに、妙に納得してしまったのでした。つまり、一度スタンレイと特定された「葉に特徴があるスタンレイ」は、スタンレイとして日本に入ってきたスタンレイのうちの、少なくとも1株でしかないのではないかという妙に達観した気持ちになったのでした。

 横田氏の記憶にあるスタンレイが、本物のスタンレイでないとするならば、別のスタンレイを確実に記憶している人物がいるかも知れないとすら考えるようにもなったのでした。

 実際に、記録では、1952年に日本に導入されたスタンレイは、この年、2回に渡り導入されているのです。それも、ニューヨーク州とニュージャージー州の2カ所からです。いまだ、望みは完全に絶たれたわけではなかったとすら考えるようになっていたのでした。