33.旅の感想

 趣味ならばともかく、ビジネスにおいての愛着とか思い入れを継続することは非常に難しいようです。たとえ愛着や思い入れがあったとしても、展開次第で、それが具現化されないことも多く生じてしまう事例を数多く見てきました。種苗業者の品種取り違えにおいても、農家の早摘みにおいても、当初はブルーベリーに相当な愛着があったとしても、やむを得ない場合があるようです。

 一人や家族でやっているうちはいいのですが、それが軌道に乗れば従業員やパートを雇うことにもなります。自分の目の届くうちはまだしも、さらに拡大するとなると、大部分を人に任せることになります。その管理も含めてビジネスだといえばそれまでですが、収穫時の果実品質や苗木増殖における正確な品種の継承は、当然レベルダウンすることになります。そして、それでも売れていくとなると、品質よりも量産に目が向くのは当然のことで、これは、やむを得ない摂理であり、心理であるのだから仕方がないのかも知れません。

 しかし、それを許しているのは、消費者のレベルの低さにも一因があります。 現在、ごく一般の人の認識としては、「ブルーベリー=目にいい」という公式がさらに進化してしまって、「ブルーベリー=目の薬」にまで至っている場合すらあるのです。

 だから、「美味しい」ブルーベリーでなくても、ある程度売れていってしまうのです。もともと、薬に対して「美味しい」などということは求めていないはずで、 消費者自身が、「本当に美味しいブルーベリー」を味わって、それを欲しなければ、結局のところ全体のレベルアップは望めないのです。

 また、実際問題として、過去のブルーベリーブームにおいても、マーケットには、それだけの苗木の需要を満たすニーズがあったのです。そして、そのマーケット自体が、単なる「ブルーベリー」を欲していたわけだから仕方ないのでしょう。たとえ誤った品種であったとしても、それだけの数の苗木が流通しなかったならば、つまり、大手種苗会社が大量に増殖しなかったならば、ある意味ブルーベリーは、今よりもさらにマイナーな存在だったのかも知れないのです。

 例えるならば、バブル全盛期における日本の土建業のキャパシティを考えるならば、手抜き工事なしで、あれだけの数のビルが建つはずがなかったのです。マイナス面はさておき、そのような大手デベロッパーの存在なくして、日本の産業の急激な発展はなかったともいえるのでしょう。

 公平に見るならば、大手種苗会社の品種混乱はさておき、黎明期から現在におけるブルーベリーの普及に貢献した事実を私は認めたい。にもかかわらず、そこには、品種に対する後ろめたさから、自信や誇りまでもが喪失している気がしています。だから、現在においても、品種を正確に同定すること自体が、「アンタッチャブル」な行為として存在しているのでしょう。結局、すべての関係者のブルーベリーにおける「後ろめたさ」とは、「正確な品種への不安感」のような気がしています。それは、本来的に果樹には、品種というものが極めて重要視されるべきものであることを、結局のところ認識しているからにほかならないのです。

 それによって、一抹の不安感を持つに至った苗木生産者は、その他の大粒種も含めて「大実ブルーベリー」と称し、果実生産者も「大粒品種ダロウ」改め、「美味しい大粒ブルーベリー」として販売するに至るのではないでしょうか。

 苗木生産者は、大量に増殖する「技術」に自信があっても、「品種」には自信がない。果実生産者も、果実「品質」に自信があっても、「品種」には自信がないのです。品種というものに、しっかりとした自信があるならば、苗木生産者、果実生産者、流通、販売など、すべてにおいて、単に「ブルーベリー」とはいわないはずなのです。

 日本における初期導入の「ブルーレイ」は、その多くが「品種Y」であったことは前述しましたが、一方で、大粒種の「ダロウ」とされて広まったものの多くは、実は本物の「ブルーレイ」なのです。「ダロウ」と「ブルーレイ」」は、ともに大粒種であるため、ブルーベリーの品種間異差の微妙さも手伝って、結局は、どうでもいいことになったのでしょう。確かに、この2品種においては、消費者のレベルが低いなどというのは、かなり「酷」なことだといえそうです。

 しかし、その品種名が間違っていたことは紛れもない事実であり、品種に尊厳があるならば、結果としてそれは踏みにじられたことになるのです。アメリカ農務省(USDA)のダロウ博士(Dr.George.M.Darrow)は、数万個体以上にもおよぶ交配を重ねた育種努力の結果、自らが開発した品種「ダロウ」が、日本では、「ブルーレイ」になっていることなど知る由もないことなのです。

 今後、自らの商品に自信と誇りを持つためにも、まずは現在の栽培品種をしっかりと認識しておくべきでしょう。大粒種が好まれるのは当然ですが、小〜中粒種においても大粒種にはない魅力がある品種も多数存在します。古い品種に新しい品種とは異なる魅力を感じることもあるのです。

 また、毎年のように新品種が多数発表されるものの、それが必ずしも優れたものではないことを、実際には誰もが気がついているはずです。過去のブルーベリーの品種混乱を、仕方のなかった事実として認識し、自信を持って将来を考えるためには、まず、しっかりと現実を直視すべきなのです。そして、大前提としての「品種選択」をもとに、ノウハウである「栽培技術」を確立し、愛着と思い入れのある「収穫技術」に努めるべきだと考えます。そうすれば、その先には、当然のこととして「本当に美味しいブルーベリー」に辿り着くはずなのです。