「ブルーベリー大図鑑」以降

 私は、品種間異差が微妙なブルーベリーにおいて、かつての関係者があまり触れようとはしなかった品種の同定について問題提起をするとともに、「ブルーベリー大図鑑」を制作したことで、その指標を示したと自負しています。また、この書籍以後、少なくとも自らが栽培する品種に興味を持ち、同定しようとする試みが活性化したことも事実でしょう。さらに、この書籍において、現在のブルーベリーマーケットにおける極めて少量の「本当に美味しいブルーベリー」と極めて大量の「美味しくないブルーベリー」の関係を明らかにし、「品種選択」「栽培技術」「収穫技術」の重要性を示しました。

 本来、品種の意義とは、同一種の中に様々な特性を持ったものが存在しバリエーションを持たせていることにあります。品種同定の目的とは、品種により異なる特性を把握し、それを栽培や収穫や流通や販売に役立てることなのです。したがって、品種を同定することはあくまでも手段であり目的ではないのです。にもかかわらず、いまだに品種は同定できたものの、その特性を把握し有効に役立てているとは思えない事例があまりにも多い気がしています。それは、摘み取りにしても然り、販売・流通にしても然り、加工にしても然りなのです。

 摘み取り園では、品種の把握は一応できてはいるものの、実際の畑はというと初期に定植したままの状態で品種特性が摘み取りという方式に生かされてはいないのです。販売と流通に関しては、結局のところ品種別販売を実施していないか、実施していても日持ちする品種と日持ちのしない品種を同一に扱っているため、日持ちしない品種は「美味しくないブルーベリー」として結末を迎えることになります。また、酸味の強い品種たちは「収穫技術」の未熟さによって、これもまた「美味しくないブルーベリー」として消費者から認識されてしまっています。加工においては、生果販売に対して二次的なポジションを抜け出せずにいるため、秘めたる品種のポテンシャルを引き出せずにいると私は考えています。

 ブルーベリーの世界では、もはや過去の人を自認している私ですが、その私から見ていまだにこのように映るのは、この世界の進歩が遅々たるものなのか、あるいは再び止まっているからにほかならないでしょう。正直なところ、それゆえ私は以前に比べるとブルーベリーに対する興味が薄れてきたのでした。その間、さらに魅力を感じさせるジャンルにブルーベリーと同様な熱意を持って傾注していました。しかし、ブルーベリーから完全に離れたわけでもなく、1年にほんの数件程度だとしても、私にとって再び興味を喚起するような問い合わせや連絡があったりするものなのです。

 その興味を満たすとともに、そのような問い合わせに応えるため、今もブルーベリーと関わっているのかもしれません。ただし、私は、ブルーベリーが生業(なりわい)ではありません。しかし、それゆえに見えるものがあるのかもしれません。さらに、最近確信していることは、本物のノウハウとは異ジャンルにおいても通用するということです。むしろ、異ジャンルを経験した方がさらにはっきりとものが見えるということです。

 また、仕事柄、ITやWeb関係には強いにもかかわらず、あらためて自分がツイッターやブログやフェイスブックを、その順に好きではない理由がよくわかった気がしています。それは、安易なコミュニケーションツールだからなのです。しかし、多くの人にはその安易さが最大の魅力なのでしょうがら、私の方が変わり者なだけなのでしょう。

 私は、極力短期間での完全なる課題解決を欲するタイプなのですが、多くの人はそれを望まないのかもしれません。Web上でいう「タイムライン」には、過去の蓄積に対して価値が低いことと、過去に戻って訂正をしないことに致命的欠陥があると思っています。人類の進歩とは、誤りを訂正する能力であり、プラスもマイナスもともに積み重ね、そこから学んでいくことに意味があるのです。また、忘却を得意技とする人間が、それを真のノウハウに昇華させるには弛まぬリピートが不可欠だと考えています。

 そういった意味では、このサイトはおそらく時流に全くそぐわないメディアであり、極めて異質なWeb情報だといえるでしょう。しかし、私にとっては、ノウハウの習得上、極めて有意義な事実と真実と解釈と仮説の集大成であり、常に訂正可能な定性的なデータベースなのです。したがって、私は、自分自身のために、自らの行動記録を、自らが更新したい時に、より精緻化を目指して更新しているのです。しかし、そこに客観性を持たせ、多くのツイッターやブログのように気分次第で安易な考えを述べたり、安易に結論を導き出したりしないことで、ここに掲載した情報を真にご理解可能な極めて少数の対象者に微力ながらも役に立てばという思いがあるのです(2012年夏)。