ふくしまブルーベリー倶楽部(福島県)

 日本のブルーベリー研究は、東京農工大学教授であった岩垣駛夫氏によってはじめられたものです。岩垣氏は、東京農工大学に赴く以前は、当時の福島県園芸試験場の場長であり、福島の地ですでにブルーベリー栽培に着手していたのです。その福島県にあって、岩垣氏から直接ブルーベリー栽培の指導を受け実践していた農家のひとつが「ふくしまブルーベリー倶楽部」の発足に尽力した後藤果樹園なのです。

後藤果樹園

 後藤果樹園の園主によると、当時、岩垣氏はブルーベリーが「小果樹」であることに注目していたといいます。「戦後十年ほどで日本人は、果物を多く食べるようになった。そして、その嗜好は当然大きくて甘いものへと移行していく。しかし、それには限界がある。また、加工や飲料を主とする果物は、飽きられることがないばかりでなく非常に裾野が広い」ということを強調していたといいます。これが、今でも園主の記憶に鮮明に残る岩垣氏の言葉だということです。

福島のブルーベリー

 日本のブルーベリー研究が開始された地である福島でブルーベリーが本格化しなかった理由は、青森、山形、山梨などと同様にブルーベリー以外にも柱となる果樹を多く抱えた「フルーツ王国」であったことにも原因があります。それゆえに、ブルーベリー研究の発祥の地でありながら、福島県はブルーベリーの産地としては事実上、無名な存在になってしまったのです。しかし、日本のブルーベリー栽培の原点でもあった福島県には、今後の発展に大きな期待を持っていいと私は確信しています。

福島のブルーベリー

 それは、趣味や営利という枠を超えて、「ふくしまブルーベリー倶楽部」の関係者の誰もがブルーベリーに対しての姿勢がホットなのです。そして、私が知るほんの数年間で、めざましい進展を遂げています。それは、理屈などではなく、彼らの行動と、なによりも「畑」を見ればわかることなのです。

福島のブルーベリー

 2005年、県内の有志で結成された「ふくしまブルーベリー倶楽部」は、「楽しく」をモットーに参加者の自主性を重視した緩やかな組織づくりを目指したといいます。その自由で「オープン」な雰囲気の中、短期間で拡大し発展を遂げているのです。この「ふくしまブルーベリー倶楽部」の成功事例は、ブルーベリーに限らず、あるいは農業に限らず、現在の低迷する日本を元気にし活力を生み出す一つのモデルケースであると私は考えます。

福島のブルーベリー

 私が、最初に福島の後藤農園(後藤フルーツガーデン)を訪れたのは、2005年のことでした。そして、それ以後、2008年、2010年とふくしまブルーベリー倶楽部の講演に招かれました。訪れるたびに、各生産農家のブルーベリーは、敷地も増やし、大きく成長し、さらなる大粒の実をつけるようになっていました。一時期は、震災による原発の風評被害で混沌としていましたが、今ではそれも乗り越えて、ますますの発展が期待できる地域だと想います。