日本ブルーベリー協会「ブルーベリー in 東京(2005年)」

 日本ブルーベリー協会が主催する産地シンポジウムが、2005年7月1日に東京府中市グリーンプラザで開催されました。当時の私は、日本ブルーベリー協会に一時的に所属しており、ポスターへの写真提供とデザイン、そしてパネラーとして参加したのですが、このシンポジウムの開催主旨、開催プロセス、そしてその結果には、不満の念を禁じ得ませんでした。

シンポジウム2005

 日本におけるブルーベリーの普及を目的とした日本ブルーベリー協会が主催するシンポジウムにもかかわらず、私にはその基本スタンス自体が「クローズド」であるという印象が強く、内輪の会合にしか感じられなかったのでした。告知そのものが「クローズド」に感じるのですから、もはや「告知」というレベルですらないわけです。

 本来の目的意識があるならば、当然のことながら「オープン」を前提に、広く一般に対してブルーベリーへの理解を促進し、その普及や浸透を図ることが「あるべき姿」だと考えます。役人や学者による冒頭のセレモニーによって体裁は整えるものの、主たる内容は協会関係者同士の「自分が関与した事実」に対する自己満足的要素ばかりで、本来の主旨からいえばこれらは徹底排除されるべきでしょう。

シンポジウム2005

 個人的な「苦労話」や「思い出話」は、客観的な第三者が共感しうる普遍性があって、さらに将来に繋がる意義ある内容であってこそ「公」に披露する意味があるのです。確かに、毎年各県で行われる「産地シンポジウム」という主旨は理解しますが、情報や社会の中枢である首都東京での開催という優位性を最大限活用し、マスコミを始めとしたメディア効果の恩恵も得られるような企画力が発揮できなければ、むしろ大きなチャンスロスだといえるでしょう。なお、以前に大手広告会社にイベントを依頼し、噛み合わなかったという話を聞きましたが、それは依頼者(クライアント)自身が明確な目的意識と、その目標に対する費用対効果をしっかりと換算できていなかったのだと思われます。

 私がこのように極めて辛辣であるのは、仕事柄、イベントや企画の成否というものに対して敏感でありシビアだからです。主導的立場にある協会の本拠地である東京での主催を前提とするならば、その評価は、実際に広く一般への普及や浸透ができたかという「結果」だけがすべてだと考えます。私は、この東京でのシンポジウム以降、日本ブルーベリー協会を脱退し、自らの興味の赴くまま独自の道を歩むわけですが、おそらく、これ以前もはもちろんのこと、これ以後もしばらくの間は、このレベルのシンポジウムの継続であったことでしょう。(2008年)。

 真実を歪める存在、進歩を阻害する存在、矜持が感じられない行為に対しては、徹底的に辛辣な批評を展開する私ですが、その後、存続の危機があったらしい日本ブルーベリー協会は、むしろそれが幸いしてか、私が参加していた頃のような恣意性がなくなり、ようやく組織としての透明性も高まって、いい方向に舵を切り始めたようです。もうこれ以上私が批評する必要もなくなったのかと安堵しています。伝え聞く断片的な情報からだけの推察ですが、私の予想は当たっていると思っています。それがブルーベリーをきっかけに身についてきた直感でもあり、モノを見る目でもあるような気がしています(2015年秋)。